1月号(*2)から6回、不勉強のいたりで不注意なミスを連発しながら、行動派探偵小説略史もどうやら一段落しましたので、今度は目さきをかえて、固ゆでの卵にちょっぴり味つけをしてみようと思います。
アメリカのミステリィ本でも、私たちに一番おなじみ深いのはペイパー・バック(*3)本で、それも、まず目につくのが表紙です。ペイパー・バックは、ソフト・カバー(*4)/ペイパー・バウンド/ポケット・サイズ・ブック(*5)とも呼ばれている略装の紙表紙本のことです。本誌『ポケットの中の本棚』の山下諭一氏の名紹介でおなじみのことでしょう。
レジャー・ブーム時代の売り込み合戦では広告のよしあしが第一、新刊がつぎつぎに市場にでまわるペイパー・バック本にとって最も有効な広告媒体は本の表紙そのものなのです。
ドラッグ・ストアや新聞売場のスタンドを飾るペイパー・パック本は派出な表紙で媚を競いあう、ひと夏の命の草花にも似た、はかない存在です。
「その上の段の表紙のやつをくれ」といって表紙で買われ、「いかす表紙なら中味が半分白くても」売りにだされようというのです。
頭はからっぽでもお面さえよければスターで通用するどこやらの女優なみに、こうなると、たかが表紙とバカにはできなくなってきます。
「コミック・ブックやペイパー・バックの氾濫は、セックス、サディズム、暴力をたたえ、殺人をそそのかし、野獣性を英雄視する傾向にある」とか、「カナダの森林から切りだされる製紙用木材の三本のうち一本がアメリカの青少年に殺人を教えこんでいる」とか、目にカドたてた批判も一方では盛んにされますが、「そんなつもりで出しているのじゃありません」、なんて自己弁護をやらず、「売れればいいのさ」と割り切っているのは、さすがにアメリカのお国柄でしょう。
ペイパー・バック本はオーソドックスな文学愛好者からは邪道とみられていますが、雑草のごとく根を張り、はびこっていくペイーパー・バック本は、やがて、書物そのものの概念をくつがえしてしまうかもしれません。ペイパー・バック本の出版それ自体、既成の方式や古い殻をうち破った新しいスタイルの上になり立っているのです。(行動派探偵小説史第5回参照)(編注・〈1950〜55〉H・B派の戦国時代)
内容についての議論は他にゆずり。ここではペイパー・バック本の表紙が広告媒体としてどのように機能を発揮しているかをお話します。
左ページに示したカバー・ピリチュア(編注「ピクチュア」の誤植?)は、表紙を構成しているいろいろな要素を説明するのにもってこいの一例です。表紙全体の背景となっているカバー・ピクチュア(*6)、題名(タイトル)、気をそそる惹句(スカイライン)、作家の名前、他の流行作家あるいは批評家の賛辞、出版社名、の六つの要素が、この例にはまったく定型的に、整然と効果的に組みあわされています。
この六つの要素に加わえて、見ひらきのページか、裏表紙に載せられている本文からの引用文も重要な要素の一つですが、その一つ一つについてお話をすすめていきましょう。
Alice was down to her panties and brassier, her outer clothes scattered helter-skelter on the floor, when suddenly she became aware of his immobility. She stopped and looked at him standing there, watching her. “Whatsa matter, haney, huh?” She lurched to him once more, engulfing him with her silky warmth and softness, smothering him with the smell of her writhing against him, pressing her, warm, ripe breasts against his chest. Her breath was harsh in his ear and she dug her pointed nails into his back.
…(本文13ページより)
1 カバー・ピクチュアの中心点。
2 画家のサイン。
3 タイトル。『死は冷く尖る刄のごとく』(*7)
4 惹句。〝身の毛もよだつサイコ・キラーの物語〟(*8)
5 作家名。〈アール・バジンスキィ〉(*9)
6 賛辞。「おれは気にいった……お前さんがたもきっと気にいるぜ!」ミッキイ・スピレイン(*10)
7 トレイド・マーク。
8 出版社名。《シグネット・ブック》
表紙の絵(カバー・ピクチュア)
表紙の背景となる絵は、女性でいえば第一印象、全体として受ける姿かたちの印象で、読者がひと眼で惚れこむかどうかが、カバー・ピクチュアにかかっているのです。
多くの場合、この絵は小説の一場面を強調して描かれているのですが、これは古くブラック・マスク誌の時代から試みられていたことで、コミック・ブックの影響が大きかったのでしょう。
『マンハント』や『マイク・シェインM・M』などの探偵雑誌にも、この傾向がうかがわれます。
リプリント版の多いポケット・ブックやバンタムブック(*11)などがスタートした頃は、表紙の絵もおとなしいものが多かったのですが、1950年以後、ゴールド・メダル・ブック以下次々に新しいペイパー・バック本のオリジナル中心の出版社が出版を開始するにつれて、どぎつい暴力シーンや煽情的なシーンがハバをきかせはじめました。
大衆の好みや欲求にあわせて、たとえば女性の肉体の一部分にしても強調されるポイントは年代的に変化し、カバー・ピクチュアの変遷を通して逆に大衆の心理を推理する仕事も興味あるものです。
カバー・ピクチュアの分類は次回にゆずることにして、今回はあまりお色気のないハード・ボイルド(*12)の私立探偵の表紙のものを集めてみました。
画家によってはカバー・ピクチュアにサインをしたり、奥付に名前がでていることがありますが、作家と同じく、これらの画家も出版社別に専属制がかなりはっきりしているうえに、シリーズものになっている私立探偵の似顔は、ふつう一人の画家によって、いつも描かれています。同じ原画を適当に組みかえて何度も使うこともあり、専属の画家によって描かれた似顔は読者に親しみのあるイメージを与え、広告として非常に有効なものになります。
ガードナーの作品は、小説の中でペリィ・メイスンに関する描写を極力さけていることもあってか、カバー・ピクチュアにもメイスンの似顔はでてきません。テレビ・スターとして賞も受けているレイモンド・バーのペリィ・メイスンですが、あのドングリマナコではどうも表紙にはいただきかねます。
ここに御紹介した探偵たちはけっして色男ではありませんが、ヤンキー好みの最大公約数的なタフガイ像といえるでしょう。
タイトル(題名)
タイトルと書きましたがこれは小説の題名のことで、人間でいえば人相ということになりましょう。
敏感な読者なら小説の題名を頭の中に分類されている整理表にあてはめて、逆に小説の内容を推察することもできるもので、人相から人間を類推する易者と同じことです。タイトルは内容にどれだけあっているかということより、いかにして読者の心をとらえ興味をもたせるかに苦心がはらわれています。
凝ったキザっぽいタイトルより、必要なのは簡潔と強烈さ。といえ(*13)、ハード・カバーからリプリントされる時によく題名が変わるのもこのためです。そしてその小説のもつある種の特定な傾向、サディズムとかエロとかスリラーといった内容を暗示し、読者の好奇心に訴えかけることがたいせつなのです。
ペイパー・バック本のタイトルは直接的で強烈である必要があるので、高尚な遊戯的な題名はなるべくさけて、分りやすく効果的なものが選ばれます。
犯罪用語や犯罪の匂いのする単語が多く用いられるのは当然ですが、カットに使用した例でも、死体(Corpse)、死(Death)、事件(Trouble)、凶悪な(Barbarous)、殺人(Murder)、被害者(Victim)、死者(The Dead)などが目につきます。作家によっては好んで用いる単語の決っている人もいます。おもしろいタイトルの分類もこの講座で予定しています。
惹句(じゃっく----スカイ・ライン)
眼は口ほどにものをいい、といいますが、読者の気をひく惹句も表紙の眼として重要なものです。
前図「精神異状者(*14)殺人鬼の身の毛もよだつスリラー」という惹句は表紙の中央に位置しています。多くの場合スカイ・ライン(地平線の意味)はこのように紙面の中央から上部に配置されています。惹句の意義は小説の内容を単的に表現、もしくは暗示することにあるのですが、ときにはオーバーな表現や、ショッキングな言葉づかいが、(*15)されることもあります。「身の毛もよだつ」などといった大時代的なものは最近ではあまりみかけられず、どちらかというと物語の内容にあった短かい文章にとってかわられてゆく傾向にあります。惹句がひんぱんに使われ、類型化した結果、こけおどしのうたい文句にそろそろ不感症になりかかっている読者が、容易に踊らなくなったことも考えられましょう。
しかし飽きた飽きたといっても新しいものに飛びつきたくなるのが人の常で、昨今流行のセックスの手引書めいた書物と同じく、出版社の思いつく新奇な新手についつられてしまうのも大衆の心理です。
今回使用したペイパー・バック本の惹句の中から、おもだったものをひろってみますと、ロス・マクドナルドのリュー・アーチャーや、スチーブン(*16)・マーロウのチェット・ドラムなど、ポピュラーな私立探偵の紹介を中心とした文章が目につきます。
「名前はアーチャー・(*17)リュー・アーチャー、拳銃片手によそさまのもめ事にでしゃばるのをメシのタネにしている。今度の事件は、失踪したブロンド娘を追っかけて海辺のパーティーに押しいってきた凶悪な眼つきの男の話から始まった……」
「そうだ、俺はチェスター・ドラム様だ。朝食のかわりに人殺しをおかわりするって男さ」
こんな具合に気をもたせる惹句が用いられていますが、どの本にもかならず使われているわけでなくある場合には、後にお話する賛辞や批評がそのかわりをすることもあります。表紙にこのような要素がくみこまれている例は、日本の出版物ではあまりみられず、しいて挙げれば「帯」と呼ばれる本のサックにつけられた細い印刷物がそれあたります。
作家名
顔や姿がよくても、氏・素姓がある程度たしかでないと読者も迷うかもしれません。この点をカバーするために小説家の名前や後にでてくる出版社のマークが大切になってきます。私立探偵の似顔の表紙の中でも、リチャード・S・ブレイザー(*18)やフランク・ケイン/ロス・マクドナルドといったポピュラーな作家の名前が大きく組みこまれていることにお気づきになるでしょう。ペイパー・バック本の読者はあまり小説家の名前などにこだわらないなどといわれますが、やはり何百万部も売れている流行作家の作品となれば、買うほうも安心できます。そうなればもうシメタものです。カバー・ピクチュアーを新しく描きかえて新作にみせかけたり、ハード・カバー→ペイパー・バック本出版の過程で原名をかえたり手をかえ品をかえて売りまくることもできるのです。ハメットやスピレインのものはいまでもまだ盛んに出まわっていますし、プレイザーもアンソロジーや短編集でお茶をにごし、最近はもっぱら旧作ばかりが出まわっています。といってもペイパー・バック本の契約はたいてい一回かぎりの原稿料制なので、旧作でもなんでも売れるだけ売って儲けるのは出版社ということになります。
新人作家ともなるとそうもゆかず、ほかの宣伝手段、ことに他の有名作家の賛辞や推せん文をもらって本人は片偶(*19)で小さくなっている例もあります。
『死は冷たく尖る刃のごとく』のアール・バジンスキーにしてもスピレインの軍隊仲間・仕事仲間ということで、スピレインから「これは俺の仲間の書いた本だ。戦争中、俺たちはともに戦い〝裁くのは俺だ〟(*20)を書いた時も一緒だった。俺はめっぽうこの話が気にいった。お前さんがたもきっと気に入るぜ」というサイン入りの推せん文をもらって表・裏表紙にのせてもらっているのです。
賛辞・批評
このような賛辞は、女性の見立てからいえば、アクセサリーにあたるものでしょう。権威のある批評や基準がほとんど得られないペイパー・バック本の読者には、これが大きな影響を与えています。
週刊誌よりも数多く出版されるペイパー・バック本を全部批評するコラムや、根気のよい批評家がいないので、たまに掲載される新聞の書評に稀少価値がでてくるのは確かでしょう。
確固とした選択の基準をもたず、それでいて貪欲で新しいもの好きの一般読者層をやすやすとだますには、なんといっても高名な批評家や作家の賛辞にかぎります。
箔づけのために飾られる馴れあいめいた賛辞、あるいはつごうのよい箇所だけのぬき書きが平然と行なわれ、ほんとうに面白いものとそうでないものの区別が混在してきています。前ページの下段のアースキン・コードウェルとピーター・レイブの珍妙な組み合わせ、中段の『海軍の殺人』は仁賀克雄氏から特に借り受けたもので、お気づきのように、R・マースチンの作品を当のエバン(*21)・ハンターが推せんしているあつかましいシロモノです。出版代理業時代のたくましい商魂のあらわれでしょうか。
デル・ブックス
ゴールド・メダル・ブックス
エイヴォン・ブックス
シグネット・ブックス
バンタム・ブックス
ポケットブックス
ピラミッド・ブックス
バランタイン・ブックス
エイス・ブックス
ポピュラー・ライブラリィ
表紙や背中に、長い伝統と専属流行作家を示す出版社名やマークを印刷するのは、広告手段として読者に一つの目安を与える効果をもっています。
各出版社には独自なカラーがあり、作家のメンバーもほぼ一定しているので「前にこのマークの本におもしろいものがあったから」という心理が自然に働いて、読者はつい手をだしてしまうのです。
出版社は読者が選びやすいようにと特徴のあるマークをつけたり、黄色(ゴールド・メダル)黒(バンタム、クレスト)、銀色(ポケット)などを基本色にした表紙、あるいは大型・小型の統一、エイス・ブックのように両面から読める合本など、独特のスタイルをとって区別につとめています。
原則的に一社のトレード・マークは創刊以来かわることは珍らしく(エイボン(*22)/ポピュラーは二、三度かわりました)、儲かったからかどうかはわかりませんが、バンタム・ブックのにわとりは創刊時代からひとまわり肉づきがよくなりました。
バンタム・ブックは本も大型に一定し、ペイパー・バック本のなかではシグネット・ブックとならんで比較的すぐれた装幀といえます。
ちなみにBantam はちゃぼ、 AVON は英国の河の名、Signet は印形、Dellは小さい谷、Gold Medalは金の勲章のことです。
引用文その他
以上の六要素に加えて裏表紙か見聞きに、本文のサワリの部分からの引用文がよくみられます。
この引用文は大半がベッド・シーンで、ごていねいに本文何ページより、なんて注釈のついたものもあります。第一印象にはじまって眼・容貌・姿態・アクセサリー・身許調査にいたる女性のお見立てもインスタント時代向きにそのものずばり性格の、セックス・アピールを誇示することになります。
良心的な出版社だと、作家の写真・略歴・他の作品の紹介、あるいは出版物のリストなどが掲載されていて、われら解説屋の貴重な資料となります。
しかしペイパー・バック本は概して不親切で、読者も日本人ほど解説好きでないようです。一般読者のレベルはけっして高くはないとはいえ、一度つかまされたまがいものを次から不思議にかぎわける本能を備えているもので、大衆をバカにした作品や広告は、必ず報いを受けることになります。
なお右ページ(編注・サイトでは下)のロス・マクドナルドの二作は、同じカバー・ピクチュアがくりかえして使用されている一例で、下のものが盗作事件で話題になった『憂愁の町』(*23)のベイパー・バック本の表紙です。
最後のページ(サイトでは下)の大きな写真は、娯楽雑誌Dudeの59年12月号に掲載されたもので、文芸復興をもじって「文芸再復興」と題された詩のような短い随筆に用いられたものです。左上隅のおなじみカート・キャノンのカバー・ピクチュアは同一画家かあるいは影響を受けた画家が描いたものでょう(*24)。(編注・雑誌Dude59年12月号が見つからないため「マンハント」の画像をそのまま掲載しています)。
さて、次回からは、カバー・ピクチュアの分類、タイル(編注「タイトル」か「スタイル」の誤植?)の分類などを、かた苦しい批判はぬきにして、コマーシャル・ピクチュアを鑑賞するつもりで続けていきたいと予定しています。
*出典 『マンハント』1961年8月号
[校訂]
*1:★横から見た行動派ミステリイ → 行動派ミステリィの顔/横から見た行動派ミステリィ
*2:1月号 → 1961年1月号
*3:ペイパー・バック → ペイパーバック
*4:ソフト・カバー → ソフトカヴァー
*5:ポケット・サイズ・ブック → ポケット=サイズ・ブック
*6:カバー・ピクチュア → カヴァー・ピクチャー[カヴァー・イラストレーション、表紙の装画のこと]
*7:死は冷く尖る刃のごとく → 死は冷たく尖る刃のごとく
*8:サイコ・キラー → サイコキラー
*9:アール・バジンスキィ(バジンスキー)
*10:ミッキイ(ミッキー)・スピレイン
*11:バンタムブック → バンタム・ブック
*12:ハード・ボイルド → ハードボイルド
*13:といえ → とはいえ
*14:異状者 → 異常者
*15:が、される → が使用される [?]
*16:スチーブン(スティーヴン)・マーロウ
*17:アーチャー・リュー・アーチャー → アーチャー、リュー・アーチャー
*18:リチャード・S・プレイザー(プラザー) [作家本人は「プレイザー」と発音していたらしい]
*19:片偶 → 片隅
*20:〝裁くのは俺だ〟→『裁くのは俺だ』
*21:エバン(エヴァン)・ハンター
*22:エイボン → エイヴォン
*23:『憂愁の町』→『青いジャングル』(文庫版で改題)
*24:ものでょう → ものでしょう
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